「1色ずつに心を込めて」ジュエリーにまで昇華させた東京七宝とは
「胎」と呼ばれる金属製の地金に釉薬(ガラスの粉をペースト状にしたもの)を盛り込み、美しい色彩を表現する七宝(しっぽう)。その歴史は古く、なんと紀元前にまで遡るといいます。ですが作り方は昔から大きく変わっておらず、今もなお繊細な手仕事によって美しい作品が生み出されているのが魅力のひとつ。
その工程は実に手間の掛かる方法で行われています。地金に描かれた区画に釉薬を1色ずつ盛り込み、乾燥させ、約800°の釜で焼成し、洗う。それを何度も繰り返すことで、ようやくこの美しい色と艶が生み出されているのだとか。東京の伝統工芸である東京七宝は、その1色1色にこだわり、細かい柄や文字も描ける繊細なもの。今回東京七宝職人を代表して、東京都伝統工芸士である畠山弘さんに、その魅力を聞きました。
■<取材先プロフィール>
畠山七宝製作所
昭和26年に創業。東京七宝によるジュエリーやアクセサリーなどを手掛ける。創業当時は企業のエンブレムや学校の校章バッジなどを制作していたが、約20年前からオリジナル製品を作るように。得意とする透胎や研磨の技術に加え、近年はデザイナーとコラボするなど、これまでにない取り組みにも力を入れている。
■<人物プロフィール>
東京七宝伝統工芸士 畠山弘さん
畠山七宝製作所の二代目。28歳で先代である父の跡を継ぎ、その後、数多くの七宝ジュエリーを生み出してきた。平成17年に東京都伝統工芸士に認定。
0.4mmの厚みに込められた東京七宝の技
——東京七宝とはどんなものですか?
畠山弘さん(以下、畠山):そもそも七宝が日本に伝わったのは江戸時代で、2系統に分かれたとされています。1つは名古屋の尾張七宝で、濤川惣助らによって花瓶などが作られました。もう1つが、徳川幕府のお抱え彫金師だった平田彦四郎によって発展させられてきた七宝焼き。刀のつばなどに七宝を施していたといいます。長らくその技は門外不出とされていましたが、明治時代になると、フランスの勲章に学んだ旭日章が授与されはじめ、それが私たちが作る東京七宝の基礎になったと言われています。
——勲章が基になっているとは。だからこうした細かい図柄が描けるんですね。
畠山:はい。それに、透明感のある色も特徴のひとつです。特にこれは東京七宝らしいところでもあって、その秘密は厚みにあるんです。尾張七宝と呼ばれる銀線を用いる七宝焼きは、溝の深さは0.8mmで製作する物が多くなります。一般の方や作家さんに向いている技法です。東京七宝の場合、地金に裏引きをしない為に溝の深さは予め0.4mmに設定されています。釉薬は厚くなればなるほど気泡が出来やすくなるし、割れやすくなるばかりか、美しい色が出なくなるんです。
——畠山さんご自身は、東京七宝のどんなところに惹かれているのでしょうか?
畠山:やっぱり色がキレイに出るところですね。単純明快なんですが、そこが気に入っています。でも簡単に良い色を出せるかといったらそうではありません。釉薬を盛りすぎたり、焼成の際に焼きすぎたり、仕上げの研磨で削りすぎてしまったり、要は少しでも「し過ぎ」てしまうと、思った通りの色が出なくなってしまいます。こればっかりは感覚で覚えるしかありませんが、丁寧に仕事をすることで1色1色をキレイに魅せていく、それが東京七宝の在り方です。そこにこそ七宝の技があると思っています。
ハイブランドにも認められるほどの技術力
※東京都美術館の企画で制作された指輪「トウキョウカボッション」
——代表作はどの作品になるのでしょうか。
畠山:そうですね、東京都美術館の企画で作った指輪「トウキョウカボッション」でしょうか。七宝は平面のものがほとんどなのですが、ここまで丸くて大きいものはこのとき初めて制作しました。色入れにあたっては、5色全てを一度に盛り付けていかなければならず、難しかったのを覚えています。普通なら隣り合った色を一緒に入れるとくっついてしまい、色が混ざってしまうんですが、これをくっつかないように盛るのはやはり技術。そういう意味で、代表作といえると思います。
——他に、普段はどんなものを制作しているのですか?
畠山:数え始めるときりがないくらい、ジャンルは様々です。ペンダントやブローチ、イヤリング、ループタイ……カタログにも全て載せ切れていないくらいですから(笑)。オーダーメイドも受けていて、表札なんかも制作しています。
——もともとは企業からの依頼でエンブレムや会社ロゴのピンバッジなど作っていたそうですが、なぜこうしたジュエリー、アクセサリーも作る様に?
畠山:確かに父の代には、販促に使われるようなエンブレムやピンバッジ、学校の校章バッジの制作がほとんどでした。東京オリンピックのときには、五輪ピンズなんかも作りましたね。そんな中、オリジナルのものを作り始めたのは、約20年前、ふじ丸やにっぽん丸といった客船の中で販売するタイ留めやカフス、マドラーの制作を依頼されたのがきっかけです。それが私の代から作り始めた最初のアクセサリーで、そこからは色んなアイテムの制作を始めました。
——ジュエリーとして昇華させるまでの技術は、どのように磨いてこられたのでしょうか?
畠山:私たち職人は経験が命ですから、数をこなしてきたというのが大きいですが、特に鍛えられたな、と思うのは、バーバリーやサンローランなど、ブランドの商品を手掛けていたときです。七宝のカフスなんかを作っていたのですが、ブランドに七宝を入れるということで、不良品を出せないというプレッシャーが技術の向上に繋がりましたね。
七宝の技術のすべてを詰め込んだ集大成がついに完成
※YUKO MINAMIDEとのコラボレーションで創られた「プレシャス クラウン」
——他に印象に残っている作品はありますか?
畠山:七宝を作って40年以上になりますが、今までで一番の作品といえば「プレシャス クラウン」というスカーフリングです。今年春にようやく完成にこぎつけたのですが、技術的に非常に難しい作品。デザイナーからデザイン案を貰って、形になるまで2年掛かりました。
先ほども言ったとおり七宝は平面が一般的ですが、これはリング型で、しかも縦長。特に透胎(地金の一部に切り透かしの部分をつくり、そこに釉薬を定着させる畠山さんが得意とする技法)の部分が難しくて、釉薬が垂れない形状に辿り付くのに時間を要しました。
さらに全部で10回ほど焼成するのですが、全てが一定の焼き方とはいかず、5段階くらいの微妙な焼き加減の調整が必要になりました。その全てのタイミングをアナログで見極めなければいけないし、釉薬を盛り込む高さもより正確さが求められます。まさに持てる技術の全てを注ぎ込んでようやく完成した、職人人生の集大成のような作品です。
——東京七宝をギフトにするなら、どんな方に贈ってもらいたいですか?
畠山:七宝は手が掛かる分、どうしても価格が高くなってしまうこともあって、手に取ってくださるのは40代以降の方が圧倒的に多いんです。なので、せっかくギフトにしていただくなら、ぜひ馴染みのない若い世代の方に贈ってもらいたいですね。それをきっかけに東京七宝の魅力を感じていただけたら嬉しいです。そうやって伝統工芸の魅力を広めていけるのは、ギフトの力でもあると思います。
また、少し先の話になりますが、若い方向けの作品も現在構想しています。もう少しシンプルで、若い方でも手に取りやすい作品にしたいと思っているので、そちらもぜひ楽しみにしていてください。
企画:天野成実(ロースター)
取材・文:石井良
撮影:藤井由依(ロースター)